春が近づく
3月は本当に行事が多い。追いコンの手伝いもあるし、思うことも色々ある。
本当は4月に向けてこれまで読めなかった本をゆっくり読みたいと思うのだけれどこれまで時間がなかった(というより読むのは満鉄の本)。とにかくもうこれ以上今月は予定を入れないで本を読もう。
今日は、「イノベーターの条件(ドラッカー)」を買った。起業に限らず色々なことに応用が利きそうだし明日から読んでみることにしたい。
【撮影教室】カメラは何台?
ちなみに受講は3クール目と書いたが、先生の授業は連続受講の方も多いので、同じことの繰り返しはやらず新鮮だ。
本日はカメラの台数によって撮影カットがどの位変わるものなのか、3つの作例を比べた。
まず先日行われた演劇の編集済み映像。なんと7カメである。
http://hamapro.blog.so-net.ne.jp/2009-02-02
タイトル画面の、中央の出口から役者が出てくる場面が引き込まれる。中野のザ・ポケットは小さい劇場であると記憶しているが、やはり1カメでは面白みがない。様々な角度から撮影すると狭くても変化が出るのだということに驚く。
次は舞踊の作品。3カメよりは4カメの方がいいのではという話。あと、画面の隙間を処理する時に上や横が空きすぎていないか。引きの絵があったら逆に非常に近づいた絵はないか。先生が様々な作例を見せて下さるのはありがたいことで、自分が材料になって叩かれる日も来ると思えば、その辺は距離を置いて冷静に見た方がいいだろう。
最後に昨秋初めて実習に誘っていただいた「みなと区民まつり」の舞台風景。これは2台並んだ2カメである。とにかく1台は引きの絵を押さえること。
1人で撮影するよりグループの方が面白い映像が撮りやすいという話。本日もためになりました。
ところで、1月のアキハバラツアーの帰りに話が出ていた講座のチラシができていた。
テレビ画像とWeb画像は、間の取り方やテロップの出し方が違うということで、Webで効果的に映像を見せることに特化した1日講座だ。
あと、ハンディカムの新製品HDR-XR500Vのハイライト再生機能(撮影した映像を解析し、編集してBGMを付けて再生する機能)の紹介もあった。私が使っているのは6~7年前のものだが、最近のビデオカメラは顔検出機能、ネット経由で撮影地点をgoogleマップで示せる機能もあるし賢くなったものだ。
ARGに掲載されました(御礼)
会場でお会いした皆様ともまた新たな交流が生まれることを楽しみにしております。
それで補足ですが、ARGフェストで会った大阪大学の飯島さんより
学生によるサイエンスカフェのお知らせがありますので掲載します。
関西圏の方はぜひ見に行ってくださいね。
******************************
中之島コミュニケーションカフェ2008
学生によるサイエンスカフェ「研究駅伝 Research Relay Talk」
******************************
HP:http://scienthrough.qee.jp/
■日時:
2009年3月8日(日) 13時45~16時30分 *開場 13:30 (参加費無料)
所:
京阪電車中ノ島線「なにわ橋駅」地下1階コンコース アートエリアB1
(地下鉄「淀屋橋駅」「北浜駅」から徒歩5分)
地図:http://artarea-b1.jp/access.html
■企画概要:
このプログラムでは、参加者の皆さんにそれぞれの研究の価値を見つけていただきます。
普段研究は大学の中でその価値が見出されていますが、大学の外の社会ではどのように受けとめられるでしょうか。
本企画では、大阪大学に所属する学生をスピーカーとして募りました。
スピーカーは1人10分という短い研究について話します。
スピーカーはその10分で研究の価値を伝えることはできるでしょうか。
そして、皆さんはその10分で研究の価値に気づくことはできるでしょうか。
結果として選ばれたスピーカー2名を発表し、引き続き対談を行います。
スピーカーと参加者の皆さんとの対話を通して、価値のある研究とは何かを考えます。
■主催:
「中ノ島コミュニケーションカフェ2008」プロジェクトチーム
(京阪電気鉄道(株)+大阪大学+NPO法人ダンスボックス)」
Scienthrough
■共催:
大阪大学21世紀懐徳堂
■企画制作:
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)/NPO法人ダンスボックス
■製作協力:
NPO recip [地域文化に関する情報とプロジェクト]
大連の旅その後(1)
もうひとつの満鉄は私が広報ボランティアとして関わっている地域に満鉄の東京支社、初代総裁後藤新平、2代目総裁中村是公の家があり、遠く離れた大連とつながっているのだということを地域住民にお知らせするという目的があった。具体的には年4回発行している地域情報紙に歴史の連載があり、そこで満鉄を紹介するのだ。
というわけで、ボランティアのKさんと原稿の分担について打ち合わせ。Kさんは東京都がやっている「観光まちづくり東京プランナー塾」という所で学ばれ、現在は複数の区でまちおこしのコーディネートをやっていらっしゃる(立教大学も関わっておられるのですね)。Kさんが東京、私が大連の部分を書くことになる。
観光まちづくり東京プランナー塾
http://www.kanko.metro.tokyo.jp/administration/gyosei/machidukuri.html
昨年神楽坂で着物で練り歩くイベントもやっておられて、新聞報道もあったのでご記憶の方もいるかもしれない。
安田邸のボランティアであるとか、江東区で今年5月初めて開催される「芭蕉まつり」の企画であるとか、地域に東京タワーのライトアップに関わる方がプロデュースする万年橋の照明点灯式にも立ち会うなど多彩な活動をされている方。「今度屋形船で三味線をつまびきながら寿司をつまむ企画を今度やりますよ~。私、川べりで着物カフェやってますから」だそうだ。魅力的なイベントにあんまり私を誘わないでください。
Kさんの知人が書いているブログ。都市インフラにご興味があり、こんどパリにインフラを見に行かれるそうだ。
インフラあれこれ
http://infrascape.exblog.jp/
ところで、連載の手伝いももう2年になるが「地域を好きになる、まちおこし」という意味で、歴史を掘り起こすのは有効だと思う。それも、有名な人物だけでなく街のために尽力した方のエピソードでも、道ばたにある小さな石碑でも意外な意味があるのだということに気づく。北区の赤レンガ図書館の例ではないが、戦争遺跡だって地域を知るひとつの手がかりかもしれない。
今の地域に関わるきっかけとなったのは向田邦子さんだ。20代の時卒論でやろうとして挫折した。向田さんの住んでいた霞町マンションは今でも改装されて残っている。向田さんのライフスタイルや恋愛観、当時からケニアやアマゾンに行ってしまう行動力は年齢を経て分かる面白さであろう。ちなみに久世光彦さんは私の高校の大先輩。2人の人間関係も面白い。
久世光彦vs向田邦子
雑誌の大学特集
http://www.esquire.co.jp/esquire/index.html
米国、ドイツ、スウェーデン、エストニアの学びを紹介。とじこみで世界の大学ガイドなるものが付いている。
2月1日号のブルータスも「ブルータス大学開講」で大学特集やっていましたが、実は取材依頼があったらしい……とか。
http://magazineworld.jp/brutus/655/
Esquireは他にもシブヤ大学を紹介。シブヤ大学とEsquireのコラボレーションでリベラルアーツの講座をやるんですね。
「山ちゃん」に学ぶ
乳がんで昨年11月に死去した養護教諭山田泉さん(山ちゃん)が、自らのがん体験をもとに語り続けた「いのちの授業」に関する話だ。
山田泉公式ブログ/どげしよっかえ?豊後の山ちゃんワイワイ日記
http://yamachan.biz/
山ちゃん亡き後もバトンを受け継ぎ活動を続けている方々が多いこと。ブログも盛況である。
この本を読んでいると、なぜか心の原風景に帰る思いがする。純粋に日々を生きることの大切さを教えてくれる。人にやさしく、「バカ」とか「死ね」で人の心を不要にすさませないこと。
そうだそうだ、それは当たり前のことだった。不況後のギスギスした世の中にいて忘れてしまいがちだけど。
そんな内容が、山ちゃんののびのびした語り口で読める。
読んでいるとすっかり山ちゃんのペースにのせられる。お勧めです。
----------------------------------
振り返れば、目の前のことは色々あれど、よく生かされてきたもんだと思う。
20代にも学ぶ危機があった。日芸の教室で映画を見たり(自分の学校ではない)、台湾人の家庭教師をしているくせに自分が入学した学校に近寄れない。
3年生の夏、とつぜん暑中見舞いが来た。
「大学面白いと思うけど。学校においでよ。せっかく入ったのにー」
入学式の時に会っただけなのに何で、と思ったけれど、数年後に聞いたら彼女が単に筆まめなだけだった。
運というものはある。
その一言でだまされ、単位を取った。卒論もなんとか提出。今に至るまでのテーマもできた。そのひとつがこの「学ぶ人々。」だ。
あれから十数年たつが、当時の友達とは縁が続く。彼女とは北京で辛い四川料理を一緒に食べたり。心を豊かにしてくれる親友になってくれているのだから不思議だ。
当時自分を救ってくれた本が2冊ある。
一つは当時お世話になった方が出した著書で、最近文庫で新版が出ていて手に取った(また別項で紹介)。もう一冊は、自分が本当に心の危機を抱えている時に読み感銘を受けた本だ。
結局私は著者を追いかけたつもりはなかったが勤務先も同じになり、仕事をする機会が時々ある。でもそんな話はしたことがない。
「あなたの作品のおかげで私は救われたんです」と心の内で恩を感じているのだけど。
ある医者と雑誌の企画でご一緒して以来、十数年来のつきあいをしている。
最近病院の定休日にだめもとで訪ねたらいらっしゃった。自動ドアを手動で開けて友人の話をしてアドバイスを仰いだところ、
「診断書を出したらだめだと思うよ。表向きは心配されてもそれがリストラの要因になってしまう」。医療面で会社の本音をはっきりふまえてアドバイスしてくださる方は社内でいないんだよな~。本当に助けてくださっている。
テレビに映った京品ホテル。強制執行を報道されたが、その中に懐かしい顔を見つける。
当時は、ヤクザにのっとられそうになった会社に乗り込んだりとか、
他人のボス交も経験した。解決金を最後他人が決めるなんて報道はぜんぜん書かないけど、人の雇用が金で買われることに対して複雑な思いだった。そんな金の取引に巻き込まれてはいけないと思った。
自分の資料を持って最後は挨拶できずに逃げてもう縁は切れたが、なかなかできぬ経験だろう。
そうそう昨日は、定年を迎えたカメラマンの方から話を聞く。
戒厳令下の韓国でフィルムを観光客に託して運んだ話。
そして日曜日、多分寂しい思いをさせてしまった人!
これまで助けてやったのになんだよふざけんなと思った(かも)しれないな。
--------------------------
なんて、もう日常のできごとが楽しく映るようになってしまうんだけど。
もういない山ちゃんに、私も勇気をもらっている。
ARGカフェの話(2)
・京都大学の中村聡史さん。次世代検索の最前線を行く研究者の方。大量の検索結果の中から自分にとって有益な情報を見つけ出すための検索エンジン「RERANK.JP」(http://rerank.jp/)の作者。これはユーザー自身が検索結果を「強調」「削除」できることで、より自分の思いに近い結果を出す仕組みらしい。
「RERANK.JP」などの次世代検索エンジンの論議は2007年秋に一度盛り上がりを見せているようだが(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20071130/288451/)、今年はどういう動きがあるのだろう?
岡本さんは普段文系が知ることのない情報工学の話をぜひ懇親会で聞いてみてくださいと薦めておられた。
中村さんのホームページはこちら。
http://www.dl.kuis.kyoto-u.ac.jp/~nakamura/
その中でニコニコ動画の視聴支援ツールは個人的に面白いと思った。動画のリストを喜びのレベル,悲しみのレベル,肯定のレベル,否定のレベルで並び変える(再ランキングする)ことができるようになっており、事前にデータを蓄積することで、見る前にどんな動画か分かるというもの。
http://xbrowse.org/wp/thermarry
余談だが、次世代検索ってどーなるの?ということで、個人的にググッて(?)みたところ、gooラボスタッフブログの「ココde検索」、「ぐにゅナビ」というのを見つけた。
http://blog.goo.ne.jp/labstaff/
・人文系研究にデジタル技術を活用する「デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)」という学問が欧米諸国にある。歴史や文化などの研究とITを連携させる試みだ。日本では立命館大学がグローバルCOE「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」を始めている。一例として、「高精細のCGで再現された舞台において、デジタルアーカイブされている能などの伝統芸能を実際に体験できる空間を構築することを検討」らしい。凸版印刷が手がけている文化財のデジタルアーカイブみたいなものだろうか?
http://www.ritsumei.jp/humanities/index_j.html
27日から29日まで第1回国際会議も開かれる模様だ。
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/info/dh-jac2009.html
・神戸学院大学の三浦麻子さん。ブロガーでありながら社会心理学者なのだが、心理学系の論文がPDFで公開されにくいために別の肩書きで見られやすいとお話されていた。学問領域によってもネット公開の度合いは違うらしい。NHK「サイエンス・ナウ」に出演されるとのこと。
最新の著書は「インターネット心理学のフロンティア」
http://www.amazon.co.jp/dp/4414301696?tag=asarin1mile-22&camp=1027&creative=7407&linkCode=as4&creativeASIN=4414301696&adid=0ED8STZJJFQFW18QZWES&
三浦麻子さんのブログ「asasemi-blog」
http://www.team1mile.com/asarin/
・公文書館の世界では、一歩遅れて今後2~3年のうちに大量退職時代を迎える。その一方デジタル化を担う若手が少なく人材不足状態なのだそうだ。
・各大学では古写真のアーカイブ化が各地で盛んだが、花園大学の後藤真さんはそれを皆で共有するシステムを研究中とのこと。
・メールマガジン「今日の雑学」(http://www.kobashi.ne.jp/)を主宰する小橋昭彦さん。より思考力を養って欲しいとセレクションした話題を選んだ理由をPDFで公開しておられるそうだ。
・若手の図書館員の交流サイト「Lifo」
http://www.lifo-club.org/index.php?about%20Lifo
・懇親会で大学院生の方から自分の研究発表をサイエンスカフェ形式でやるという話を聞いた(資料をもらえればまたお知らせします)。
ARGカフェの話(1)
ARG(ACADEMIC RESOURCE GUIDE)とは、Webプロデューサー岡本真さんが始めた電子メディアの学術利用をテーマにしたメールマガジンのこと(98年創刊)。読者は約5千名。メルマガは月3回の発行で、学術系サイトの新着・更新情報を紹介している。
「図書館・アーカイブズとは何か」(藤原書店)の寄稿「ARGの10年」によれば、ARGは「インターネットの学術利用を広げていくこと」をビジョンとする。背景には、「世の中には専門分野の垣根というものが厳然と存在」するが、「インターネットの学術利用という立場に立てば、分野の垣根にとらわれることなく実は共通の関心を抱けるのではないか。そしてそこに学び合い話し合う余地が存分にあるのではないか」という岡本さんの思いがある。だから参加者も理系文系問わず幅広い。
創刊10周年を迎えた昨年から、メーリングリストの読者同士の交流を深めるため、「ARGカフェ」と銘打ったイベントが開かれるようになった(第1回東京、第2回横浜)。前掲書によれば、ARGの今後は「メディア」から、「プラットフォーム」への変化を遂げることなのだそうだ。今回は前日の「レファレンス協同データベース」関係で、京都で。50人余りが集まった。
ARG
http://archive.mag2.com/0000005669/index.html
岡本さんのプロフィールはこちら。
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/help.html
岡本さんは業務のかたわら、学会での活動や執筆活動などを行い、人の輪も大事にしている。そういう意味では「学ぶ人々。」の大先輩だなと思う。
さてARGカフェ。学術系イベントだから堅そう!と思われるがさにあらず。個人的な印象を一言で言うと、若手研究者、図書館員の「部活」的なノリである。
読者同士は自由に交流できる。岡本さん曰く「人脈を抱え込む人と紹介する人がいたとしたら、後者の方が得をする。紹介することで信頼もついてくるんでしょうか」。
最初に岡本さんが挨拶で、京都が地域のつながりを大事にするという話をする。京都で評判の居酒屋に行き、オーナーに二次会に使える店を尋ねると、何軒も薦めてくれる。他の多くの地域は商売敵を意識して教えてくれないのにだ。後ほど京都大学の中村聡史さんが、京都の店同士のつながりをマップで見せてくださる。お互い濃い付き合いなのが一目瞭然。
続いて「ライトニングトーク」という5分間のミニ発表へとうつる。パワーポイント主体だが、スケッチブックを使ったりチラシを配ったり、発表形式はさまざまだ。限られた時間で、岡本さんがストップウォッチを手にしているので軽い緊張感がある。時には登壇者が時間の件で岡本さんとかけあいもする。特に若手の方々は、パワポの見せ方がうまい。今回は羽織袴で登場した方もいた。
カフェが終わった後は、「ARGフェスト」という懇親会が開かれた。岡本さんはアイリッシュパブという場所にこだわりを見せる。理由はカウンターまで客が自らおもむいて直接バーテンダーに注文し、飲み物を受け取ったらその場で清算するキャッシュオンデリバリーで、明朗会計だから。お酌で気を使う必要は全くなく、皆好き勝手飲んで話している。
このイベントのユニークなところは、参加者が終了後、自分のブログで開催報告を書いて岡本さんのブログにトラックバックすることだ。トラックバックすることで、参加者同士で新たなつながりが生まれていくわけだ。
トーク中、Twitterで実況されていた方もいた。
http://egamiday3.seesaa.net/article/114648674.html
発表内容は次項で。
京都にて
レファレンス協同データベース(国立国会図書館)
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/common.Controler
このデータベースの有効な所は、問題解決手段のプロセスや参考文献を皆で共有できることだ。参加表明を希望している公立図書館約500館が、自分の図書館で受け付けたレファレンス事例を国会図書館が作ったシステムに入力して公開し、データベース検索もできるというものだ。
コメント機能が付いているので、回答プロセスを発展させることができる。米国にも「QuestionPoint」というサービスがあるが、立ち上げた人によれば、国の事情が違うので国内外の他の質問サイトも1年間調べながら仕組みを作ったそうだ。
QuestionPoint
http://www.questionpoint.org/index.html
統計によれば、レファレンス事例を参照する件数は年々高い水準で伸びている。しかし、参加館をどう増やすかで告知が足りない問題や、同じ組織内で知らない人も多く、理解をどう進めるかという点が課題になっているらしい。事例の数が増えると検索エンジンに随時引っかかるようになり、自然と認知が広まっていくので事例も増やしたいという話。
図書館経営は厳しい。大阪府立女性総合センターのレファレンス担当がパネリストの一人として参加しておられ、昨年橋本知事によってセンターが廃止の危機になった時の話を語っていた。生き残り策は公共図書館にはない専門性の追求。学校や行政機関と連携しながら講師派遣情報サービスや参考資料のリストを作るサービス等を始めたという。「待ち」の姿勢になりがちだが、あえて独自企画を立てて攻めに回らないと危機は乗り越えられないという話だ。
パネルディスカッションではマスコミなどの広報対応の話もしていた。公立図書館の世界で民間のPR手法を浸透させるのも今後の課題である。
春休み~2年へ向けて勝手に反省会
21世紀社会デザイン研究科に入ると、学生は全員「比較組織ネットワーク学専攻」という肩書きになる。研究科で学べるのは「社会組織理論」「コミュニティデザイン学」「危機管理学」の3分野だ。この1年、登録した授業は危機管理分野ばかりだったが、この研究科で学ぶべき本質のテーマは肩書き通り「組織とつながり」だと最近思う。危機管理は第一に来るのではなく、この2つに付随して必要になる要素なのだと思った。
こんなことを書いたのも、研究計画書を書いた当初は入手できる情報が入学案内位で、本来研究科で学べる学問と本人がやれると思っていたことに乖離があったからだ。それが1年たって授業でやったことを思い出すことで、研究科の強みと自分のやりたいことをつなげていくという感じだ。
思えば入学時から「あれもやろうこれもやろう」だった。自分の仕事と学問分野が違うというのが大きな理由だ。
例えばNGO職員とか区議会議員の人は日頃やっていることの延長上で明確かつ純粋にテーマを持っている。現在の職業で多様なテーマが必要とされているせいもあるし、自分が一番やりたい論題は一部の人にカドが立ってしまうのが分かるのでできなかった。
他の方々が薦めてくださる分野もそれなりに理由があるので大事にしたいという気持ちも最近ある。
また読書についても反省あり。ひとつの授業で取り扱える本の数は限られていて体系立てて読むという作業がうまくできていない。
全集だったら最初から最後まで読めばいいし、「社会学」や「哲学」なら読むべき定番の本というものはある。しかし「危機管理学」のために何を読むのかは授業を登録していない限り知ることはない。別の分野はそれなりに紹介されたが、危機管理学の先生の中で体系的な本の紹介があったらよかったなと思う。
入学生向けに研究科でブックガイド作った方がいいですよね?といいつつ、中村ゼミではしっかり配られたことを思い出した。
というわけで、授業開始までまだ1カ月。もうこれ以上仕事が遅れたら大変なので会社戻ります……。
会社で「学ぶ人々。」
また、院に1年行って社内に敵ばかりだと思っていたのだが味方もいることがわかった。会社に隠れて大学院に通わねばならない人に比べれば、今、社内での学業の理解は進みつつあるのだ。
あと、いい本もご紹介いただき。今読んでるところですから。
昨日会社の先輩の送別会があった。元職場の仲間が一同に集まったのだが、8年前にも関わらず3日前まで一緒に働いていたのではないかという位楽しい。
私よりずっと先輩(50代)であるが、中国の大学で先生をされるそうだ。もともと飄々とした方だが、25年働いてもういいかなと、会社を辞めるのはうれしくも悲しくもない心境なんだそうだ。大きな大学の先生を断る形で、比較的新設の大学を選んだ。聞いてみると現地の大学教授との出会いがあったり、資格の勉強があったりと5~6年は下地があるようだ。
東北部の大学だそうでこの間行って来た旅の知識が役立つ。旅は行くものだね、やっぱり(頻繁には行けないけど)。
「ゲストルームを」「温泉はあるんですかっ」「日本に残していくゴルフ会員権はどうするんですか?私に使わせて下さい!」
などと送別を惜しむ声、いやその人をダシにツアーを狙う声多数。
某社内選考で選ばれた人も出席していた。大学院を契機に着実に自分のキャリアにつなげている。単なるキャリアアップという視点ではなく、専門性を磨くという形で光っているのだ。私も応募して落ちたのだが、以前から知っているのでこの人なら仕方ないなと思った。社内でこういう方が先頭に出てくれると助かる。
会では、さらにもう1人、春から大学院に通う旨近況報告があった。
4月のこともそろそろ視野に入る。
院をしっかりやるんなら大幅でなくても両立できる環境を作っていかなくてはならない。昔の仲間と会ってみて、何だこんな楽につきあえる世界も社内にあるんだと思った。仕事の厳しさはあれど、皆明るい。
今のままでは業務も大学院も共倒れの危険である。やばい。
満鉄・731部隊の足跡を求めて~中国へ(番外編1)
大連の繁華街にある勝利広場。地下街の原宿・竹下通りという感じだ。
Bちゃんに「ここは絶対撮影はダメ」と言われた。
階段を下りるといきなり「千葉店」という看板が目に入る。
何かの店の千葉店ではなく、「千葉店」という店名。ここは偽ブランドショップ街だ。誤解なきよう言うと、全てが偽ではなく、一部がそうだということであり、様々な店があるということだ。
奥にはキャラクターグッズのドンキホーテのような場所がある。
ヴィトン柄の鏡を見つけた。11元である。
Bちゃんが読んでいるのはCamCamの日本語版。中国は北京、上海、南京、大連と見てきたが、女性がおしゃれなのは上海と大連だ。日本の神戸と横浜に似て対外開放が早かったからだろう。大連の女性は日本人の服装に近くて中間色の取り入れ方がうまい。
小部屋の地べたで若者が座って洋服を売っている。
紹介してもらったのは手づくり人形の店。手足が長いオリジナル人形を作ってもらった。壁にかけてある洋服を選んで、髪型をカットしてくれる。約20分で完成。95元。
春節休みを取ってアルバイトしている学生とBちゃんが初対面なのに延々と話していた。皆顔見知りでもないのにおしゃべりだ。
こんなに日本に近い大連なら、日系のファッションブランドだって進出していいものだが、地元企業の力が強く、実現しにくいという。
経済成長の途上にある中国の若者も就職難だ。中国の場合、地元の有名な大学に行き、さらに留学して箔を付けるのが一般的だという。日韓中ともに就職難。
Bちゃんは小中学校を首席で卒業。大学ではホテルマネジメントを専攻。「中国は勉強ばっかり。日本の大学でもうちょっとココロを勉強したいのよね」と面白いことを言う。
Aさん曰く「こちらの学生はまじめ」「大連では中国では珍しく若い女性を『小姐』とよばないんですよ」。
今回中国入りしたのは春節の最終日。夜になると爆竹と花火大会。
団地の中で打ち上げ花火大会並みの花火が「ドカーン」と鳴っている。夜もうるさくて眠れない。
「姪のために爆竹で500元使いました」とハルビンのガイドのMさん。
春節期間中に飛行機から見下ろすと、あちこちで花火が上がっているのが見えてきれいなのだった。
満鉄・731部隊の足跡を求めて~中国へ(4)
翌日はAさん、Bちゃんと「大連満鉄旧址陳列館」へ。満鉄関連の本格的な資料展示は本館が初めて。最近できたばかりだという陳列館のチラシをもらう。
1908年に完成した本社は、ロシア統治時代に学校だった建物だ。現在は市の鉄道局の事務所等に使われている。
満鉄本社の大連移転100年を記念して、07年に左半分を市から借りる形で作られた(一般公開は同年9月10日)。展示館部分(総裁室と社員用の礼拝堂)は陳列館を作る前、倉庫だったという。
館内で変わった所は1階部分の廊下位。職員に給与を払う窓口も残っている。2階の廊下は木でできており当時のままだ。
びっくりするのが、Aさんらが展示館を整備するまで満鉄時代の展示品が倉庫にあったり普段使いされていたりしたということ。価値のあるものとは中国側も思っていなかったらしい。
総裁室に棚が置いてある。「ここを見てください」と言われ棚の右上を見ると、確かに「総裁室」のプレートがある。「倉庫にありましたがこれで総裁室のものだと分かったんです」
総裁室の前にある秘書室の椅子。「2年前まで実際に使われていたんですよ。満鉄のマークが付いているでしょう?新しい椅子と交換してもらったんです」
展示館部分でAさんがもっとも苦労するのが入口にある「前言」パネルの内容だ。すでに書き換えは4回しているが文章が確定していないので、ビニール素材で文字が作ってある。
一部の満鉄関係者は直接軍事行動に関わっていないと主張しており、日中で歴史見解が合わない。「調整の上、早く正式な文章として公開したいのですが」とAさん。
先日見学した遊就館の展示内容も外国の圧力で変更されてきた。日中両国の利害のぶつかり合いはここでも行われているわけだ。
館内のパネルは全て中国語。「日本語訳も付けたいんですが」。ここでも歴史認識の問題があるようだ。パネルは約50点。展示物は食器、カーテン、時計など約60点。
テーマは4つに分かれる。特に後藤が満鉄の経営理念として力を入れた「文装的武備」のコーナーの写真は豊富だ。
満州支配で重要なことは武力だけではなく経済的文化的開発を施し、教育、医療、交通などのサービスを向上させることだった。大連市図書館などが集めた写真は見ごたえがあり、「これも満鉄がやったんですか?」「これも?」「これも?」という位、大連市の公共サービスを満鉄が担っていたことがうかがえる。満鉄の鉄道技術は東海道新幹線に生かされており、「ひかり」「のぞみ」の名前は満鉄時代に走っていた急行列車の名前と同じだ。
最後の満州事変の展示については、「やめましょう」とAさんは黙ってパネルの前を通りすぎた。
総裁室には歴代総裁のパネルがあるのだが、Bちゃんは「この人の本を読んだ」とある総裁の写真を指し示した。指差した先は「小日山直登」。第16代総裁だが、日本で有名な総裁というと、後藤や中村、松岡洋右を思い浮かべるのだが……。中国側で印象に残る総裁は違うのだろうか。
展示物は関係者がオークションで買い集めたり、発掘を続けている関係で、少しずつ増えているらしい。防火用の水がめが置いてあったのだが、買ったものだそうだ。街中にある満鉄グッズの店にあるものは偽物だという。
展示品の中でAさんが感慨深そうに見ていたのは、チチハルで発掘された満鉄総裁のものも含む社章バッジだ。青、橙、黄、緑、黒(総裁)のバッジが箱に整然と並んでいる。
Aさんとしては、建物の一部に限定されている陳列館を拡張できないかという思いがあるそうだ。一方でAさんに対する支援は少ない。「この活動、どうなっていくんでしょう。取り組むのは自分が最後じゃないでしょうか」とAさんは言っていた。
実験。
ところで、中国国内でもモバイルデータ通信の環境が整いつつある。といっても日本の一世代位前の感覚で、大都市で384k、全国で64k位(日本だとFOMAのデータ通信で7.2M、今度始まるモバイルWiMaxのサービスが40Mになるらしい(いずれも下り))。レンタルもあるので次の旅の楽しみに。
満鉄・731部隊の足跡を求めて~中国へ(3)
駅前にあるホテルに出迎えてくださったのは某航空会社勤務のAさんとオレンジ色のコートに身を包んだ地元の女子大学生のBちゃん。
将来は日本に留学希望だという彼女、ヴィトンのバッグを下げて、風貌も口調も日本の今どきの女の子と全く変わりがない。大連は語学教育に力を入れており、彼女も6歳から英語を勉強していて堪能だ。日本語も片言だが、聞き取りは完璧で学習期間が1年未満とは思えない理解の早さだ。
大連は「日本語の町」だ。ホテルで日本語で迎えられ、街でも日本語を話す人が多い。フロントの20代男性にビデオケーブルを借りようとして「ヨドバシカメラみたいな所はですね……云々」と言われ、中国でこういうかゆい話が通じることははたしていいのか?などと心の中で軽く突っ込んでみたりするのだが……。彼は先月まで日本に留学していたそうだ。
説明を受けたのだがいただく大量の資料に一学生として恐縮するのみ。Aさんは私に限らず週末は社会貢献として、色々な方々の大連案内を行っていおられるという。実は前日から3度ほど国際電話をいただいてどことなく資料のニーズなどを聞かれ、頭の下がる思いだった。
またAさんはビジネスや学生の職業訓練の分野にも詳しく、若い世代も含めて幅広く交流をしておられるようだ。
満鉄に関わったのは2000年からだということだが、裏では行政を巻き込み「大連満鉄旧跡陳列館」建設に協力するなど大掛かりな保存活動となっている。今も次のプロジェクトを進めておられるということ。旅順は現在一部の地域しか見られないのだが動向が注目される。旅行業界は次の観光地を開拓するという意味で新しく観光できる場所に敏感のようだ。
大連は、満州のイメージが強くシニア層の旅行客が中心だといわれるが、実は国内では中国で一番美しい町ということで若者に人気であるそうだ。ガイドブックで紹介している繁華街ももう古いのではという話を伺う。「満鉄等この街を作った土地の伝統とトレンド感がある場所の両方を知ってもらいたい」とAさんは言う。
続いて市内へ。旧題連市役所、旧ヤマトホテル、旧横浜正金銀行大連支店、旧社宅、旧本社など、当時の満鉄の建物が今でも使われていることに驚く。中山広場から放射状に広がる街路は、かつて満鉄の二代目総裁中村是公がパリで研究した都市構造が今もまちづくりにそのまま生きている。電柱や信号も少ない。
大連市が多くの満鉄の建物を現在でも保存、活用しているのは満鉄の高度な技術があったからこそだ。
それでも若い世代はこの建物が満鉄のものだったということを知らない。旧ヤマトホテルも初めて入ったそうだ。
次に観光バスがあまり入らないという海岸線地域へ。当日は曇りだったが、青空で見たら絶景のドライブコース。老虎灘という6匹の虎のモニュメントの前に出る。
Aさんいわく「このあたりのイメージは油壺ですね」。海洋動物園もあり(この時期やっていない)、確かに夏来たら、神奈川の沿岸部と勘違いしそうだ。この地域は中国共産党上層部が会談する場所もあるという。
イルミネーションや建物の色彩が中華圏の色ではなく、ヨーロッパ風で若者に人気があるのもうなづける。ダボス会議の会場近くにあるマンションは中国一値段が高いそうだ。また、ブランド品は途中まではここ大連で作られて欧州で完成させる仕組みがあるらしい。
他の地域では党の支配が強いが、大連市は地元行政の力が強い。国内でもリベラルな地域ではないかという話だった。
大連は地下街も発達している。ウォルマートもカルフールも地下にある。若者がいく繁華街を見ようという話になったが途中で時間切れ。これはまた本日に回すことといたしましょう(^_^)。
【撮影教室】映像取材
hamapro先生の「ビデオを撮る」講座は3クール目に突入。午前が撮影講座、午後が編集講座なのだが、午後は満席で取れず。
前回は舞台撮影のノウハウだったが、今回はhamapro先生が過去に行った農業関係の取材について、取材映像を交えてうかがう。
話としては…
・撮影前の事前取材が大事。10分ほどの番組でも映像を構成するにあたり、50人から60人に聞き取り調査を行った。また流通のメカニズムや植物としての稲の知識などの学習も必要。
・専門家に聞く場合も、行政担当は情報操作の可能性があるので現場に近い方に聞く。
・大学教授でも稲作を実践されたり、農家のネットワークを持っている方は農業に対する造詣が深い。……等。
次にミニ撮影実習があり、先生を撮影することで、講座の雰囲気を
伝えるという課題(私はカメラの順番の都合で不参加)。
皆それぞれのカメラで先生の姿を映し、後で再生して解説。
その後「では手本を見せます」とhamapro先生が実演。
速!(・_・)!!!
全景→カメラを持つ講師のバストショット→手に持つカメラ→
カメラを据える手先→生徒の全景→生徒の顔→生徒のカメラ
→ノートに筆記する手先→講師の顔→講師の後ろ姿→講師が手に持つ紙
軽やかな動きで「遠景→アップ」までの流れに本当に無駄がない。
またドリーショットも実演して下さる。
トロい私だと足がもつれて転ぶだろう。絶対。
後で気がついたが、もしかすると先生が持ってきた
カメラは来月出る某S社の新製品だったのでは??
もっとさわっておけば良かった……。
先生、週末は演劇の撮影実習とのことです。
余談だが、担当Sさんに最近別の講座で何が流行っているのか聞くと意外にも「数学の講座」だった。
hamapro先生の「目からウロコの動画編集講座」はこちら。
http://www.jp.sonystyle.com/Nws/Handycam/Special/Edit/
また、先生のブログはこちら。
http://hamapro.blog.so-net.ne.jp/
で、先生が講師をしている講座はこちら。
工学院大学・朝日カレッジ
http://www.asahiculture-shinjuku.com/kogakuin/koza/2008/11/1400.html
NHK文化センター
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_474511.html
戦争遺跡ガイド
先週末、立教立花組で日吉台地下壕に行った時に案内してくださったのは、26歳の若手戦争遺跡ガイドの石橋星志さん。石橋さんは日吉台地下壕、登戸研究所、靖国神社、東京大空襲・戦災資料センターで活動を行っているとのこと。石橋さんの話では、20代、30代の若手ガイドは沖縄をはじめ少なくないとのことで、「平和の想像力」(新日本出版社)を紹介していただいた。
日吉台と資料センターでは、「悲惨さを伝えつつも泣かさない」ガイドを心がけているという。「平和や命の重要性は伝えたいが、死という現実をただ直視させるのでは子どもも大人も意識は変わらないし響かない」とのことで、当時の報道写真を見せながら、映像メディアの特質を話したり、引いた目線の話もあえて盛り込むのだそうだ。
石橋さんのブログはこちらから。
戦争遺跡ガイドのブログ
http://senseki-guide.txt-nifty.com/blog/
教養ブームは来るだろうか
この研究科に来て一番新鮮だったのは、北山先生の「アイデンティティ論」でフーコーとジンメルを読んだことだ。
このブログを立ち上げた目的のひとつに、「なぜ教養なのか」自分なりの答えや言葉を見出したかった。開設するに先立ち、立花先生の「東大生はなぜバカになったか」という本を読んだ。そこには「教養はなぜ必要かと質問されてあきれる立花先生」のくだりがある。「教養」を非常に重視するのはある一定の世代だ。地雷を踏むと怖いなと思う。
とはいえ「教養が必要」というのは、学校に来て講義を聴いていると分かるので自分が情けなくなる。歴史認識しかり。哲学しかり。何て自分はものを知らないんだろう。
「教養は大事だ。教養を持たないと知的エリートになれない」とストレートに主張するのは簡単だ。でも若い世代にはワンクッション必要で、教養への必要性を自分の内側に感じるための橋渡しを作る必要がある。立花先生の授業が貴重だと感じる。
私が今欲しいと思うのは、氷河期世代が「蟹工船」の次に読むべき本のブックガイドだ。実用本、勉強本の紹介はあれど生きるための教養本の紹介は見たことがない気がするのだが。
氷河期世代の論者が誕生している。湯浅誠、雨宮処凛、城繁幸……。
不条理さを味わうゆえになぜこのような目に遭うのか、自分は一体これからどこへ行くのか。同じ目線で指針を示す論者が必要とされるし、サブプライム不況で、拝金主義で「勝ち組」「負け組」を目指すだけでは何か物足りないという意識を皆覚えるようになるのではないか。「教養」ニーズは今後の若い世代にあるような気がする。
アジアの社会企業家
中村先生は副査としてお世話になった。毎週あるゼミがペースメーカーとなる。先輩のフォローも厚いし、皆の意見も聞けるところが個人指導のゼミと違う。何より先生が熱心だ。(先生がつかまらず追っかけもいるらしいと聞きますが…)
NPO法制定の時は1都3県を往来する位のハードワークをこなしておられたそうでご多忙だ。ゼミをほぼ毎週欠かさず、この日も5時間のゼミに社会人学生が出たり入ったり。
授業後少し話す機会があり、近況報告もしつつ、先生よりアジアの社会企業家についてお話を伺う。
立教大学はダッカ大学、グラミン銀行と協定を結んでいる。今後立教大学がアジアのNGOの研究拠点になる構想だ。
http://www.rikkyo.ac.jp/news/2008/09/1208/
20日にBRAC総裁のファズレ・ハサン・アベッド氏が来校した。
http://www.rikkyo.ac.jp/feature/abed/
BRACの活動はNHKスペシャルの「沸騰都市ダッカ」に詳しい。
タイのNGO、PDAとの協定もあるという。
【立教立花組】浅川地下壕見学
中国行きが延期になり、少しの時間だが浅川地下壕の見学会に合流させていただいた。
浅川地下壕は、太平洋戦争末期、本土決戦に備えて陸軍が軍事施設を隠すために掘られた地下壕のひとつ。当初倉庫として作られたが、中島飛行機武蔵野工場が空襲に遭ったため、軍用飛行機のエンジン工場も稼動していた。中島飛行機は、世界有数の飛行機メーカーで、終戦直前にはロケットエンジンの開発も行っていた。現在の富士重工業や日産自動車等関連企業が残っている。
現在史跡指定を受けている地下壕はここ浅川地下壕(東京都八王子市)、山海軍航空隊赤山地下壕跡(千葉県館山市)、日吉台地下壕(横浜市港北区)の3つ。24日に日吉台に行くので、あとは赤山地下壕跡に行けば日本の三大地下壕制覇だ。
http://www2.city.tateyama.chiba.jp/Guide/?stoid=1892
全長10キロの地下壕だけあって、高尾駅を降りて途方にくれた。本日は途中参加なのだが、見学中は皆携帯が通じない(地下壕にアンテナがあるわけない)。合流には手間取った。中島飛行機武蔵製作所第1製造廠があった「イ地区」のほか、「ロ地区」「ハ地区」がある。
私が見たのは未完成の「ハ地区」。普段の見学は「イ地区」のみで「ハ地区」は崩落の危険性が高く見る機会が少ないようだ。見られるだけでもありがたい。入口で時代屋さんと「浅川地下壕の保存をすすめる会」の方が待っていてくださる。
ヘルメットと軍手を借りて体を折り曲げ、狭い入口を入る。初めから頭をぶつけ、ごみとがれき、割れた陶器、とがった岩に足を取られる。誰でも入れる見学者コースではなく、懐中電灯で足元を照らして岩につかまってすべらないようにするだけで精一杯だ。暗闇の中、1人ではとても怖くて入れそうにない。
優れた削掘技術で作られた「イ地区」と違って通路は迷いがあるかのように蛇行して掘られている。土砂を運んだ枕木の跡や、分岐点で枯木が1本ぽつりと立っている場所もあった。
「子供の頃は、近くに防空壕があってよく遊んだよ。昭和20年代は家のない人が住んでいたこともあったんだよ」とゼミで一緒の時代屋さんは懐かしそうだった。
「保存をすすめる会」十菱武さんの話によれば、現在一般には公開されていない浅川地下壕も、歴史的価値があり安全性を強化した部分を保存し、公開する予定とのこと。別の地下壕等で陥没事故等が起きているが今後行政の対応が必要だろうとのこと。
ちなみに、高尾に残る戦争の痕跡は、JR高尾駅1番線プラットフォームの東側上り口付近の柱に残る銃弾跡と太平洋戦争最大の列車事件(いのはなトンネル事件)の供養碑がある。
佐野先生の公開授業のお知らせ
□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■ 立教大学21世紀社会デザイン研究科 『開発教育とコミュニティ』公開授業ワークショップ『タイと日本の人身売買問題を知ろう!考えよう!』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
人身売買は、決して自分と離れたところにある問題ではありません。
このワークショップでは、一冊の絵本「子どもの権利を買わないで~プンとミーチャのものがたり」(大久保真紀著/2000/自由国民社)を通して、「人身売買とは何か」「なぜ起きてしまうのか」、そして最終的に「自分には “なに” ができるのか」を考えていきます。新たな気付きが、次の行動への“きっかけ”になるかも知れません。1人でも多くの皆さんの参加をお待ちしております。
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
■と き: 2009年 1月13日(火) 16時 ~ 18時
■ところ: 立教大学 池袋キャンパス 11号館1階 A101教室
《アクセス》http://www.rikkyo.ac.jp/access/pmap/ikebukuro.html
■参加費: 無 料(申 込み不 要)
■主 催: 立教大学21世紀社会デザイン研究科 授業「開発教育とコミュニティ」 (担当:佐野淳也 立教大准教授) + 「てのひら~人身売買に立ち向かう会」http://wwwj.rikkyo.ac.jp/kyomu/in/11sei/Vm0/169_0_1.html
…………………‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・
・・‥……… ……………‥・・
『てのひら~人身売買に立ち向かう会』
・・‥……… ……………‥・・
「てのひら」は、人身売買を放置しない社会を目指しているNGOです。人身売買について考えてもらうきっかけ提供をする「社会啓発活動」と、被害の当事者に寄り添った「当事者支援活動」を実践しています。海外協力として、タイのNGOをパートナーに、スタディビジットや基金運営も行っています。2004年設立。団体やワークショップについての詳細は、HPまたは事務局へお問い合わせください。http://www.geocities.jp/tenohira_trafficking
・・‥……… ……………‥・・
人身売買とは??
・・‥……… ……………‥・・
人は、誰もが豊かになりたいと望むものです。もちろん、それぞれにとっての豊かさの基準や違いはありますが、家族のため自分自身のために…。さまざまな理由で人は豊かさを求めます。
人・物・金が国境を越えて行きかう今日、地域を問わず「移住労働」は行われています。より豊かな場所へ、国へ、海外から日本へ移住労働に来ている外国籍市民だけでなく、日本の中でも地域格差の中で、地方から都市へ老若男女を問わず移住労働は行われています。移住労働をする背景にはさまざまな要因がからんでいます。
人が国境を超えるとき、都市に働きに来るとき、詐欺や、甘い誘惑 を用いて、あるいは誘拐、弱い立場の濫用などを用いて、ブローカーが歩み寄り、監禁や暴力、脅迫などのあらゆる力によってその人を脅かし、肉体的・精神的・性的に「壮絶な搾取」をすること、それが人身売買という犯罪です。
世界では、年間250万人を超える人々が人身売買の被害に遭っていると国際連合では推計しています。人身売買された人々のある人は、給与のほとんどを奪われ、ある人は騙され性風俗店に売られ毎日のように売春を強要されています。海外から日本にやってきた人たちの中にはパスポートを奪われ、狭いアパートに監禁され、夜、売春をさせられるとき以外は外出が許されなかったという人もいます。
このような現状にもかかわらず、未だに人身売買の存在は日本社会では広く知られていません。「貧しい国から富める国へ出稼ぎに来る人たちだけの問題」という偏見の中で、日本には関係のないこととして見過ごされています。しかし、18歳以下の日本の子どもをターゲットにした児童買春や子どもの人身売買被害は、警察庁が把握しているだけでも毎年3000人を超えています。
…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…□■
満鉄・731部隊の足跡を求めて~中国へ(1)
731部隊とは関東軍防疫給水部本部の事で細菌戦研究のために生体解剖などを行ったとされている。
米ソとの裏取引で石井四郎ら幹部は東京裁判という「裁き」の場を逃れた(ハバロフスク軍事裁判にはかけられているが)。また登戸研究所で人体実験を行った人々も東京裁判では裁かれなかったという。
ちなみに、ニュルンベルク裁判では人体実験は裁かれ、「ニュルンベルク・コード」という基準が生まれた(細菌戦は裁かれなかった)。
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/vuniv99/exp-lec3.html
東京裁判では、南京虐殺における1644部隊の話題が若干出ただけだったそうだ。
また新宿区の陸軍軍医学校は、731部隊と縁があり、登戸研究所で製造された化学物質も731部隊で使われていたという。
やはり一度現地へ行って見てみるべきではないかと考えた。
悪魔の飽食」「細菌戦部隊-731研究会編」「731部隊の犯罪」をテキストとして教えていただく。一方、書店で「七三一-追撃・その時幹部たちは」青木富貴子著「731」を購入。
「悪魔の飽食」の中に凍傷実験のくだりがある。11月から2月にかけて、手足を冷水に漬け、戸外に立たせて風を当てて手を凍らせ(棒で叩いて凍り具合を確かめる)凍傷にする。マイナス20度の冬のハルビンの寒さはいかほどのものだろう。
「マルタ」とよばれる数々の犠牲者のデータを引き換えに、731部隊は裁かれず生き延びている。
青木氏の「731」は、細菌戦のデータが欲しい米ソと731部隊幹部がいかに取引したか公文書館の資料から読み解いている。また、ミドリ十字の前身「日本ブラッドバンク」はGHQの保護のもと作られたそうだ。
一方菊池実編「ソ連国境・関東軍要塞はいま」を読むと、中国東北部には東寧、虎頭、ハイラル等の要塞があることを知った。この区域は一般の人々に公開されているのか不明だが、できることなら見てみたい地域だ。
「ハルビンに行きたい」と周囲の友人に話していたら、現地にいる友人が一足先にハルビンに行って市街地の写真を色々撮影してきてくれた。道端でアイスクリームがそのまま売っており、凍てつく松花江を歩いてきたとか…「関口知宏おすすめのレストランはうまかった」とのこと(^^;氷まつりも一部始まっているようで、のんびりした雰囲気だ。
関口知宏さんも立教大学出身なんですよね。
【撮影教室】新春アキハバラツアー
1月4日にhamapro先生、「わだぶろぐ」管理人わださん、hamapro組の重鎮Fさんと新春アキハバラツアーへ。私はお供です。
まず秋葉原と言えばメモリが安いということで激安店を転々。http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20080118/1006227/
次に音楽店「LAOX MUSICVOX」でビデオの別録りに使うリニアPCMレコーダーを見る。先生のお勧めはローランドの「R-09HR」。2月21日にソニーからも新商品。http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20090121/1022977/?ml
アキバ系のユニークなTシャツの店(ラジオ会館内)や、段ボール肉まんの店、「俺の太郎(麻生首相グッズショップ)」を見ながらツクモへ。ツクモも経営危機から脱出中で、品揃えは少なかったがロボットを集めた店自体がない(読売新聞で昨年報道)。自分が子供の頃は「学研の科学」「学習」が人気だったが、親子で夏休みの宿題に本格的なロボットが作れる時代なのだと感心する。
最後に寄った「むだや」「若松通商」は面白グッズ系の店、歓送迎会の面白い景品が買えそうでお勧めの店だった。
帰りにUDXで一杯。朝カル4月期講座をどう面白くするか前向きな話もあり、新年らしい1日でした。
身近な戦争体験記
ふりかえれば11月。授業で、立花先生が「若い人は身近な人に戦争の話は聞かないものなのかな」とおっしゃった。何だか気になって地元に帰省の折、聞いてみることにした。
戦地に行ったと聞いて思い出すのは母方の祖父だ。祖母の家へ行くと水平服姿の写真が飾ってある。ところが母も叔母も子供の頃に終戦を迎えて祖父の話を全然覚えていない。「兄ちゃんが生きていればねえ」「Aさんはもう死んでいないし、Bさんも2年前に亡くなったし」……。コタツを囲んで2人とも困った顔をしていた。それでもぽつりぽつりと話を聞き、万年筆で律儀に書かれたはがきを見せてもらった。
祖父は町の食糧営団長だった。営団とは国家が統制目的で作った特殊法人で、2004年まで続いた営団地下鉄が代表的。食糧営団は1942年に制定された食糧管理法に基づき米の備蓄や供給をしており、祖母の兄が県の食糧営団に勤めていたことから誘われたという。
海軍に徴兵されたのは翌43年らしい。身分は砲兵少尉で、当時のはがきには「東支那派遣軍節9407部隊毛利隊」と「南支那派遣軍節9407部隊毛利隊」所属とある。「1枚1枚脱イデ、イマハシャツ1枚、夏服デモ暑イデス。南国ニテバナナノ木モ生エテイマス」と書いてあるのだが、肝心の地名がつぶれていて読めない。この部隊の行動を記した資料があれば当時の祖父の任務や足跡が分かるのだが、探すすべを知らない。
内地に戻ってきた後は、金沢、小倉、長崎の旅館から手紙を送っていた。叔母は会津若松で、マントを羽織った祖父が馬に乗って坂を下る途中、道の両端にいる歩兵が一斉に敬礼したのを覚えているという。最後は戦死ではなく久留米の病院で盲腸をこじらせて亡くなった。内地での病死のため恩給がもらえず、残された一家7人は困窮した。祖母はうどん売りをしながら日本遺族会や元同僚の兵士に陳情に行ったらしい。祖母は「あの時船が沈没していたら、恩給ももらえたのに…」と話していたそうだ(ブラックジョークではない)。「先生だったら食いっぱぐれない」と母を含め女きょうだいが先生になった話は昔から聞いている。
富山大空襲があった45年8月2日、家族は大八車に金庫を乗せて公園へ避難した。今は亡き叔父が屋根に上って双眼鏡で遠くに見える富山市内を見ていた。当時5歳の叔母も低空飛行でB29が飛んでいくのを見たらしい。遠くの空を見ながら、「花火みたいだ」「きれいだねえ」と訳も分からず言っていたと祖母が後で話していたそうだ。
余談だが、富山市に7月26日に模擬原爆が投下されており、投下したのは8月9日長崎市に「ファットマン」を投下したB-29「ボックスカー」だった。富山は原爆投下の練習場所だったのだ。広島に原爆を落とした「エノラゲイ」は名古屋で模擬原爆を投下したらしい。
母も叔母もすでに70代。この年代でさえ戦争はもう遠い存在である。
<おまけ>
若い世代が戦争を語り継ぐ上でブログも有効だと感じた次第。ご参考。
大東亜戦争従軍記
http://war.komagata.org/
謹賀新年
みなさま、あけましておめでとうございます。
昨年はこの21世紀社会デザイン学科に入学させていただき、皆様に会えたことをとてもうれしく思っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
*
このブログ、実は抜けている記事がありわかりにくいのですが(実はいくつかエントリーされていない記事もあり、一気にやると新着情報を独占しちゃいそうで、怖くてできません)
振り返るならば12月初旬、学会発表なんぞしてみようと気まぐれを起こしたのが運のつきで、冬休みを前倒しに取ってしまい、周囲からは非難の的。
思わず
「ツケは年内に払いますので何卒ご勘弁を」と宣言したはいいけれど、大晦日までずれこみ、
年越しそばは会社でどん兵衛…。まあ何年おきかに食べると味がリセットされてオツですが。
何とか年内に終わり、東京タワーで年越ししたカップルと一緒に電車に揺られてその帰りに初詣、国際文化会館でおせちとお茶を……ほっ。
正月は読んでない本を読みたい…(+_+)
ところで、ある区議会議員のチラシを見ていたところ、戦争遺跡が図書館になっていたことをいまさら知った。1919年に建てられた旧陸軍兵器工場を改築したもの。
赤レンガ図書館について
http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/service/272/atts/027236/attachment/attachment_3.pdf
軍施設に関連する資料
http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/service/066/006605.htm
北区戦争調べ隊。小学生9人参加。知名度が低いのか。
http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/press/323/032346.htm
若者にとっては、戦争遺跡もお洒落なのだ。
http://www.playnote.net/archives/001084.html
自治体によっても戦争遺跡の保存状況が違うというが、北区は活用がうまい方でしょう。